2007年~2012年くらいのインターネッツって神だったよね?

最近、「懐古」をする瞬間が多くていよいよ懐古厨となってしまった三千院ナギです。

三千院ナギが活躍していたのも2000年代後半の話なので仕方ないところあるね・・・。

 

 

オタクとして一番楽しかったのが2007年~2012年くらいの5年間で、

ニコニコ動画の全盛期とともに中学生活を駆け抜けた自分としては

今のインターネッツに物足りなさを感じる。

また、ああなってほしいと願っているね。来ると信じてる。

 

 

祈りを込めて、なぜその年代に魅力を感じるのか、その所感を書きなぐりたい。

 

 

(1)インターネット黎明期

2007年あたり、インターネットの成長に日本の各法制度が色々追い付いてなかった。

表現の自由系の法整備やそれらに対する個人の倫理観も曖昧

 

それが良かった。あの闇鍋感インターネッツ刺激が満ち溢れてたんだよね。

なんでもあり故に、誰かしらから予想外のものが出てくる期待感もあった。

 

時代もゲームボーイアドバンスからDS、PSPと映像進化の過度期を迎えていて、

PS3とか箱もこのあたりか。映像の進化が凄いよね。びびったな~。

ネットで対戦したり交流したりするのが普及してきたのもこの時代だよね。

供給されてるコンテンツは常に予想を超えた進化が起きてるのに

感情の共有先であるインターネットはなんでもやり放題のめちゃくちゃな時代だった。

 

そのアンバランスさが面白かったのよね。

ウェルカムトゥアンダーグラウンド・・・という某コピペに非常に共感できる時代。

 

 

(2)PCの普及

というかパソコン持ってない家庭が2007年以前は割と多かった。

けど2007年くらいからパソコンを所有する家庭が(少なくとも俺の周りでは)

急増した。インターネットの黎明期に、ネットに飛び込める人が増えたんだよね。

 

何事も初心者のころって何やっても楽しいとこあるじゃん

もし2007年~2012年に多くの家庭でPCが普及したらば、

その時代に初心者としてネットに飛び込んだオタクが多くて、

であれば初心者特有の楽しいを感じてる人が多いじゃん?というのが当時への偏見。

 

でも初心者だから行動もnoobなのが多いの。

当時ブログを運営してたんだけど、絡む人もピュアめな人多かったし、

後述するけどニコニコ動画のコメントとかもこう、良い意味で香ばしいのが多かった。

楽しいんだよなこれが。カオスが楽しいんだよ。

 

PCをいつ所有したかどうかがキーかもね。ソースないです。ごめん。体感。

 

 

(3)コンテンツが成熟し、ニコニコが全盛

そんなところに「ハルヒ」と「ニコニコ」のダブルパンチがあったんだよね。

 

個人的にオタク史は「ハルヒ以前以後」で語れると思っていて、

 

ハルヒ以後」の世界は深夜アニメの潮流がハルヒのような綺麗な絵柄のアニメが増え

キャラがEDで踊るアニメは大体神アニメで、

声優が曲を歌う場面が増えてきて、

萌えアニメオタク史で覇権を握るようなアニメも増えてきて、

ラノベが全盛で、そこから覇権を握るコンテンツが増え、

 

そこにニコニコ動画っていう当時のオタク的にそこ以外考えられない動画サイトもあり

偶然そのニコニコ動画場面ごとにコメントが右から左に流れていく仕様で、

人(オタク)もコンテンツ(エロゲアニメゲーム)もニコニコに集まるしかなかった

だから一体感があったんだなあって思っている。

 

いや、懐古だからそう感じるんだろって思うかもしれないけど、

確かにあの時代には

あの時代にしか感じられない一体感が

そこにはあったんだよ・・・

 

ハルヒ放映のタイミングとニコニコ動画全盛のタイミングが噛み合っていて

その後のらき☆すたとらドラけいおん化物語まどマギの流れが

分厚い潮流になる礎になったと思う。

 

放映されれば(いけないことだけど)話ごとの印象的な場面が切り抜きされてニコ動へ

その場面にみんながコメント載せて感情を共有して、

MADがあふれてネットミームが増える。これだよこれ。この礎がハルヒ

 

 

(4)このタイミングに、インターネット童貞の三千院ナギ少年(14歳)

そういうインターネット的ビッグバン時代に初めてネットに触れた

 

元々の礎は小4のファイアーエムブレム

小5のテイルズオブシンフォニアで、

このあたりでそういうコンテンツへの免疫はできてた

キッズステーションでよく分からずにハルヒ以前のアニメを多く見てたのもでかい。

きっかけさえあればいつでもオタクになれるとこまで来てた

そしてきっかけがきた

 

今でも覚えてるね。あれは学校の課外授業で美術館に行かされたときだった。

俺が「最近暇なんだよな~」と言いながら、当時特別仲良いわけでもないやつと

美術館までの道程を歩いていて、そいつが「最近ゼロの使い魔ってアニメが面白い

って言ってきた。なにそれ、と聞いた瞬間は思った。

 

が、確か丁度その一週間前くらいにキッズステーションゼロの使い魔を見てて、

あ、そういえば面白かったな・・・というのを思い出したんだよ。

だから思ったんだよね。「それを面白いと思うこいつは信用できるかも」みたいな。

 

ゼロの使い魔で話が弾んだ俺は定期的にそいつにおススメを聞くようになった。

そいつは年齢の割にアニメを沢山知っていたんだよな。

そいつの兄貴もアニメ好きだったのがそいつを強いオタクにし、間接的に俺も育てた

 

色々教えてもらいながらオタクコンテンツに少しずつ沼っていく日々の中で、

ある時。確か体育の時間だったね。更衣室で着替えて、校庭に歩いていくときだな。

ニコニコ動画なるものが立ち上がるという話をそいつとその類友(つまりオタク)が

話していて、俺も割って入った。俺ももうほぼ類友だった

なるほど、そんなものが・・・。と思った。

 

当時にしては珍しく会員制で、へえと思った。

ネットの知らないものに登録するのって危なくないのか?と思った。

 

そしてニコニコのサービス立ち上がって間もなく、

yahoo!で自分用のメアドを作って、

親に内緒でドキドキしながらニコニコの会員登録をして、

自分的には割と色々な葛藤や困難を乗り越えて辿り着いた先で、

まさしくオタク大爆発が起きていた。

 

面白いコンテンツと面白いオタクが手を組んだら、最強じゃん・・・

インターネット初心者に強すぎる刺激を与えると夢中になってしまうのでいけません。

これが14歳の俺。

 

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そこから5年はまあ楽しかったかな。

最後の2年くらいはニコニコも既にオワコンみたいに言われていて、

実際微妙感はあったけど。まあでも好きな時代でした。

 

そこからニコニコが本格的にオワコンになった。

2007年~2012年あたりのこう、濃厚なオタクが消えたんだよな。

彼らはどこへ行ったんだ?

 

結婚したのか?

それとも別のこう、のっぴきならない理由でオタクを辞めてしまったんだろうか。

それとも知らない場所でひっそりとオタ活しているのだろうか。

自分を楽しませてくれた顔も名前も知らない誰か達のことが気になる

 

そんな気持ちを持ちつつも、Twitterでオタ活をはじめた。2015年くらいから。

これも楽しかった。

でもコンテンツへのめり込む感覚じゃなくて、

オタクとTwitter上やオフ会で交流する楽しみがメイン。

かじりつくようにPCに向き合ってコンテンツそのものにのめり込むのはあまり・・・。

 

そして2021年。ウマ娘ってアプリが出た。

勢いが凄まじく、同時期にやっていたアニメも神アニメだったので、

流石にTwitter上でもウマ娘の流れが分厚くて「な、なんだこの感覚は」となった。

久々に全オタクがウマ娘で一色になった感覚だった。なぜか懐かしい感じもする

 

この感覚俺だけじゃないよな?と思って久々にニコニコ動画を見たら、

やっぱりウマ娘のMADが沢山上がってて

中を開けば古臭いネタを展開する時代錯誤なオタクが沢山いた

投稿者もコメントしてるやつも。

なんだよ、こんなところにいたのかよ・・・。

 

しばらくしてウマ娘もすぐ潮流ではなくなってしまったけど、

一瞬確実に俺の中であの頃の感覚が蘇った。

すげえ。27歳でも味わえるのか。あの感覚。やっぱりあれが好きなんだよね。

こういうのこういうの、と思った。

 

未だにあの感覚が好きだから、懐古はする。

けど「あの頃に帰りたい」じゃなくて「期待」するようになった。

俺はまだまだオタクやるからよ。待ってるぜ。またあの感覚を味わえるのを。

最大効率を意識してしまう男

1.【最大効率:瞬間瞬間の流れていく時の密度を最大圧縮すること

 

皆さんこんにちは!最強の効率厨(自称)の三千院ナギです。

唐突ですが、誰より強い人生を歩みたくない?

そう、僕は歩みたいんです。最強の人生を。

 

じゃあ・・・最強の人生ってどうしたら・・・?

 

警告────────────────

────────────────次の言葉、10000000000万点

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今が最高がずっと続けば人生は最高

なんですよ。知ってましたか?ライフハックンゴねぇ・・・。

 

 

他人からどう見られようが世の中のあるべき論に逆らおうが

自分が最高だと思うことができれば、その日一日は最高で、

そんな日々がずっと続いて、そのまま死ねたら、人生って理論上最高じゃないですか

なのでコレを目指したいんですよ。ぼくぁね。

 

 

そこでまず考えなきゃいけないのが「その日一日の最高」の作り方。

三千院ナギ理論でいうと自己満足できれば何でもよくないですか?が結論なんですが

この自己満足させるのがエラい難しい。

なので以下に27歳独身男性の現時点での自己満足のための重要なことを書きます。

 

 

(1)他者の幸せをどう受容するか

(2)自分の納得を定義できるか

(3)その納得の為の実践ができるか

 

 

の3つですね。

 

 

まず(1)他者の幸せについて。これねー難しいですねー。

自分と比較して自分よりも幸せそうな人間がいると、自分の満足のハードルが他人に引っ張られちゃうんですよね。これが嫉妬とか羨望につながる。

これ気づかないうちに最高のゴールが自己満足じゃなくなっちゃってるんですよ。罠。

 

 

なので個人的に重要なのはあー嫉妬してるかもー羨ましいかもーという自分を受容することですね。客観的にそういうものを見ることが出来ると、そういう感情を自己満足を満たす為のゴールと混同させなくなる。あくまで自己満足ですからねゴールは

 

 

上記理解したうえで(2)自分の納得を定義できるか。

他者の幸せや社会規範と混同させず、「自分なりの自己満足」を探せますかィ?

そして(3)その納得の為の実践ができてますか、無駄な一日を過ごしていないですかということですね。

 

 

ここでタイトル回収なんですが、三千院ナギこと僕は最高の1日として

最大効率な1日を送れているかどうか 

を自己納得の基準にしてるんですよね。

 

 

最大効率ってなに?なんですが

例えば僕はDanceDanceRevolution(以下DDRを平日もよくプレイしています。

そもそもゲームが好きで、楽しいからやってるんですけど、

なぜその中でDDRなのかっていうと、ゲームプレイに対するアドバンテージが楽しいの範疇を超えているからですね

このゲームをプレイすれば運動不足の解消につながります痩せます好きな服を着れます友達もできます、ただのゲームの範疇を超えたメリットがそこにはあると僕は思いました。

だから色々なゲームが数多存在するこの世の中で、僕はDDRを長く続けています。

 

 

仕事も一緒です。

三千院ナギである僕は今、三千院ナギをしている傍らとある企業で企画職をしてます。

企画職って営業職と違って仕事の量やペースを自分で決められます。

なので実は僕、会社の中で僕にしか出来ない仕事の領域を見つけて、

その仕事の工数を通常よりも大きめに見積もって申告しています。職場ごめん

そうやって作り上げた自由な時間の中で副業をして稼いでます。

これ、昇進を目指すよりも手軽に自分の時間あたりの稼ぎを伸ばせます。

 

 

こういうことが出来ていくと、

今これ以上のことは僕にはできないなぁ」って気持ちになっていきます。

これが僕の中の納得感につながり、最高の1日を醸成していきます。

 

 

勿論、これはあくまで僕なりの最高の人生の為に気を付けていることで、

冒頭にもかきましたが幸せなんてセンサバンベツなわけです。

だからこの記事だって自己満足。後々、何が幸せか見失ったとき、

文字に起こってたら見直せるなと思って文章にする気になりました。

 

 

やりたいことの中で、最大効率化を目指すために、

これからも精進していきたいですね。人生あがいてなんぼ。

三千院ナギだって死に物狂いで頑張ります。